11 Mar 2021

東北大震災から10年で何が変わった。。。

10年前の今日、私は横須賀で、とある機関の、地震と津波の研究部署におりました。

そこの部署に勤務する、と決まって、この部署名を聞いたとき、正直、ゾっとしたのを覚えています。そして半年後に東北大震災がきた。今覚えば、地震が迫っていたサイン。

揺れの時、何をしていたか、

私は職場のトイレの便器に座っていた。

綺麗なトイレにのんびり座っていたら、大揺れが長く続き、いつ終わるのかと座って待っていた。。。でも終わらない。私は慌ててトイレを出ました。

そして、オフィスに戻ると、研究者達がテレビの前で呆然と立ち尽くす姿。

津波中継をみて、何もできずに立ち尽くしていたのがとても印象的でした。

そう、いくら研究してもどんなに研究費をかけても、自然現象には太刀打ちできない!!!

研究者の秘書をしていた私は、思わず上司に、

「地震早期探知よりも、どうやって逃げるかなどの防災の方が大切なのでは」

と、生意気ながら真剣に伝えました。

上司はこの後、防災のプロとして講演活動を始めていた。

地震の後、しばらく私の住む横浜も大パニック! スーパーへ行くと水やトイレペーパー、カップヌードル、が売り切れ。私が毎日食べている納豆はどこにも売っていない。スーパーを4軒回ったが、やはりどこにも売っていない。津波で納豆製造会社が被災にあっていたから。

この後、以前から計画していた伊勢神宮へ、このタイミングでの旅に躊躇したが、悩みに悩んで、初めての伊勢神宮へ向かった。

三重県へ向かう途中のローカル電車で、突然、

「もう、都会はいいかな、関西で第二の人生スタートする時期がきたかな」

とぼんやり思った。

三重県に到着し、人も物も違っていた。

スーパーには沢山の納豆、何不自由ない、在庫の数。

あれ? あの関東の大パニックは?ここは同じ日本? 

少し関東を離れると、そこは平和な日常であった。

思えばこの時に、電力不足で「計画停電」という前例のない状況が起こった。

私の住む桜木町近辺は、計画停電外だったが、殆どのエリアが計画停電対象になっていた。

実家の埼玉県浦和に電話すると、

「今から計画停電だから、もう寝るから切るよ!」

この時の時刻は、16時くらい。

寒い時期に停電になるから、二時間の間寝るしかない。

日常は当たり前じゃない、環境が変わるだけで、人も生活もこんなに真逆になる。やはりこのまま便利さに頼って人間力のない生活をしていてはいけない!

私はこの2011年3月11日の地震で、今迄描いていた

「農業セラピー、農業生活、田舎暮らし、自然」

これらをとにかく早く実行しなければならないと、更に強く思うようになりました。

2012年6月には、関東を離れて、友人のいる大阪茨木市へ転居。そこで三ヶ月就職活動をし、9月から奈良の山口農園での営業事務の仕事にありつけた。

地震がきてから、私の生活は180度変わった。

一時は、関東の人達も、「本当に大切な物」に気づいたはず。

しかし、「喉元過ぎれば熱さ忘れる。。。」 これが一番コワイ。

1年くらいして、すっかり元の便利で贅沢な暮らしに戻っていた。

私はこの便利で贅沢なのが当たり前、ということは間違っている!ということを知って欲しいがために、

先ずは自分が田舎暮らしをして、都会の人達に、人間らしい暮らしを伝えられるまでにならなければいけない!

という使命をもって、この地にやってきた。

あれから、10年

もう伝えられます、全て。

この世の中に安定はなく、全ては自然界の中で私達人間は生かされている。

自然の中で、暮らしませんか?

自分の存在価値、生きる意味、見いだせますよ。

私は奈良県にいますが、

私の話を聞きたかったら、オンラインでお話もします。

でも、ここに来たら、必ず大切な物を見つけて行かれるでしょう。

奈良県吉野郡下市町広橋 「空に一番近い里山」で、待っています。